こんにちは。理系かあさんです。
断捨離が大体一巡して、物が2/3くらいになった我が家です。
(どんだけゴミをため込んでたんだ)
今まで、頂いた寄せ書きとか、色あせた写真とか(データは持っている)、年賀状とかをなかなか捨てることができなかったのですが今日はそのあたりに手を付けることにしました。
たくさん捨てていく中で、自分に関する思い出の品は処分してもいいかな、と思い始めたからです。
※今回は個人情報が含まれるものが多く、写真を載せてません。ぼかせばいいかな、とも思いましたが自分の個人情報ではないので止めておきます、地味ですみません。
なぜ今回思い出の品を断捨離しようと思ったのか
そもそも思い出の品見返していない
出てきたら確かに懐かしい寄せ書きや思い出の品。あの頃こんなことがあったなぁ、なんて思ったり、ほっこりしたり。
・・・なんですが、一方で私この家に引っ越してきてから掃除で見つけるまでの間、1回も見てなかったんですよね。たまに出してきて見返している人なら全然処分する必要はないと思うのですが、私のような人間には実はもう必要のないものなのでは?と思った次第です。
そもそも頂いてから10年以上が経過し、書いた当人でさえ何を書いたか(下手をしたら書いたということさえも)恐らく覚えていないようなものをとっておくことに意味はあるのか?と思ったというのもあります。
物よりもそこに込められた思いが大事
そもそも書かれていることは昔の私に向けられた言葉です。それに応えるべく、自分なりに頑張ってきたつもりです。
大切なのは物をとっておくことではなくて、思いに答えていくことではないか。
自分の中にあるその人たちとの関係ではないか。
そう思ったらもう今の私にこの色紙は必要ない、と決断できました。
思い出の品を捨ててはいけないと誰が決めた?
なんとなくいままでは思い込みというか、思い出の品はアンタッチャブルなイメージがあったのですが、思い出は物に宿っているわけじゃないのでは?と最近考えられるようになってきました。
思い出は自分の中にあるわけで、思い出の品は記憶の引き出しを開けるカギになるかもしれないけれど生活に必要なければ処分してもいいのでは?と思うのです。
しかもそれを参照する気概が全くなく、ずっとしまい込まれているのならなおさら。
ずっと目につかないところにしまわれているってそれ、もうないも一緒ですもんね。
スペースがあるなら、今必要なものを置くべきかなと。
わたしも随分考えが変わりましたね、、、
それでも例外だと思うもの
子どものもの、夫のもの。まぁ私の管轄外のものですね。
おもちゃも何ですが、大事かどうかはやっぱり本人にしか決められないと思うんです。いつも片付いたおもちゃの少ないきれいなリビングに憧れはありますが、おもちゃを手放すときは子どもが納得して決めてほしいな、と思います。
おもちゃの数を制限することで片づけを学び、自分で管理できるようになる!
・・・という意見も確かに!と思いますし、一方で
おもちゃが散らかっている家庭で育ったほうが創造性が豊かな子供になる!
・・・という意見も確かに!と思います。
要はバランスなんでしょうけど。
うちの子にどっちがあっているのか見極めながら、おもちゃの選別はいずれは一緒にやっていきたいと思います。
今回断捨離したもの
・年賀状
年賀状など、夫婦共有財産は夫が処分を嫌がるので(夫の性格上、絶対見返さないのに、子供の成長がわかるからといって頑として譲ってくれない)処分できないものもありますが、自分あてのものなどは古いものは捨てました。
・色紙
高校生のころに後輩からもらった、オタク色の濃い色紙(とっても封神演義とジョジョ5部。ああ、当時は待っていたなぁとクスリとしつつ(笑))
大学生のころにもらった色紙たち。いい先輩後輩に囲まれていたなぁとじんわり。
・・・
ちなみに前の会社でも辞める時に色紙をもらった記憶があったのですが、ありませんでした。
めっちゃブラック企業だったので、そういえば持って帰るなり破いて花束と一緒に捨てた記憶がよみがえってきた。今思えば花に罪はなかったのでかざればよかったのにと思いましたがすぐに引っ越しもあって心に余裕がなかったのでしょう。
・自分で印刷した写真
大学生のころ、コラージュにはまっていて印刷して飾っていた写真。
インクが日光にやられて色あせたりくっついたりで残念なことになっていたのですがとっておいてました。ただ、データは持っているので廃棄することにしました。
以上、今回処分したものです。
大した量ではないかもしれません。
けれど自分の中では大きな一歩かなと思っています。
処分するのに心理ハードルが高い場合はお焚き上げっていう手もありますね。
まさか宅急便でお焚き上げができるとは思いませんでしたが、こういったものを利用する手もありますね。